年表

慶長(一五九六年〜一六一五年)頃 茨城県の泡斉というお坊さんが寺院修理のために、江戸市中で始めたものです。
慶長十八年(一六一三年) 勘兵衛は、現在の千葉県君津郡佐貫町で生まれました。
寛永十年(一六三四年) 勘兵衛は、忠興に仕えて郡奉行を命ぜられました。
慶安三年(一六五〇年)六月頃 雨が全く降らなく、いわき地方が大干ばつ(日照り)に見舞われていました。
慶安四年(一六五一年)二月十五日  磐城小川江筋の起工する準備が行われました。
明暦元年(一六五五年)七月十四日 勘兵衛は、四十三才の若さで切腹という無実の罪をとげてしまいます。
明暦二年(一六五六年)七月の半ば いわきの上平窪にあった利安寺で『じゃんがら念仏踊り』が行われました。
明治六年(一八七四年)一月 じゃんがらの禁止令が出ました。
明治九年(一八七七年) いわき市下神谷に、澤村神社が建てられました。
明治二十八年(一八九六年) 再び『じゃんがら念仏踊り』を踊り始めるようになりました。

詳しくは、歴史澤村勘兵衛勝為を見てね!!